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ウソの国ー詩と宗教(戸田聡)

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2019-05-22 (Wed) 00:55

伝道の資格

 
  伝道の資格
 
   ラブ・ソナタ静岡
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28976813.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、韓国系の教会の動画を紹介しています。
 

冬のソナタによって一大韓流ブームが始まりました。
もうひとつのラブ・ソナタによって近くて遠い日本と韓国の和解の大きな流れが起こって、
今も続いています。そのラブ・ソナタが29回目となり、静岡で開催されました。
国と国の和解は人と人との和解から始まります。
ラブ・ソナタは人と人との和解をもたらす和解の源は神と人ととの和解であり、
それは人からではなく、神によって与えられる和解です。神の福音です。
多くの素晴らしい音楽もあります。
ぜひ視聴くだされば感謝です。
http://japan.cgntv.net/detail.php?number=2299

 
この動画の中身に問題があるかどうかは分かりません。
 
問題は、シャロームが、キリスト教の動画を宣伝しているということです。
 

人と人との和解をもたらす和解の源は神と人ととの和解であり、
それは人からではなく、神によって与えられる和解です。神の福音です。

 
こういうことを、シャロームは、言う資格があるかどうかという問題です。
 
今までのことを、まるで何もなかったかのように、言っています。
今までの問題は、何も解決も和解もしていません。
シャロームが、どういう人であるかを、ここにまとめておきます。
 
シャロームの、今までの言動(批判8年の歩み):
 
シャロームは、自身のことを元牧師だと言っています。
 
質問をすると、けっして分からないとは言わず、はぐらかしてくる、皮肉を言ってくる、讃美言葉でごまかす、返答に困ると、やたら聖句を引用して並べてくる、さらに突っ込んでみると、質問者~批判者を、エホバの証人に似ている、自分に依存していて構ってあげないから攻撃してくる、幼少期に虐待されたから長じて虐待者となって攻撃してくるというサイコパスの特徴を当てつけてくる、などと書いて侮辱する人です。いっさい根拠を示さずに。
 
批判すると、自身のブログに、敵を滅ぼしてくださいと祈り願う聖句を載せてきました。
 
あるコメント欄で、やり取りを続けていると、状況に合わない時候の挨拶を入れてきました。そして、そのあとの私のコメントは承認しませんでした。つまり、読者に、シャロームが私を説得して退かせたと見えるような偽装を行ったということです。
 
荒らしの易坊と二人で、私を攻撃しました。そのとき、シャロームは、私がシャロームのブログに書いたコメントを、私のブログにコピペしてきました。そして、私のことを、荒らしだと決めつけました。そのとき、荒らしは、紛れもなく、易坊とシャロームだったのです。シャロームは、何をしても、非を認めず、こちらのせいにしてきます。
その頃に書いた私の記事:「いのちのパン」
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18423721.html
コメント欄はありませんが、
https://st5402jp.blog.fc2.com/blog-entry-1085.html
 
シャロームの言ったこと:
 
罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、偽善も罪だから赦される、と言って、それを訂正していません。
シャロームの詭弁:
別のときには、悔い改めをするのはシャローム自身なのに、悔い改めは神が与える、という詭弁を弄しました。これは、悔い改めていないなら、シャロームには、神の恵みも導きもないのだから、シャロームはキリスト者ではないということを自ら語っているに等しいのです。これも訂正していません。何事につけ、シャロームは、訂正不能で、自己正当化と自己中心で、訂正不能です。怖い人です。穏やかそうな筆致に騙されないようにしてください。
 
シャロームは、私のコメントをすべて削除しました。そして、コメント欄を、すべて閉鎖しています。そういう人物が、今回、キリスト教の動画を勧めているのです。信用できるでしょうか。
 
シャロームは、キリストの肉体の奇跡を、それだけは譲れないとまで言って、信じ込んでいます。そして、それを自分が救われることの根拠にしているようです。シャロームは、「超常体験です(笑)」と書いて、病気が治ったか何かの奇跡体験があった、というようなことを書いていました。何を仕出かしても、どんな罪を犯し偽善を働いても、どんでん返しの奇跡で自分は救われると信じているようです。つまり、とても単純で、短絡した信仰になっています。
 
シャロームは、人間性を、その知性と感性、そして共感を否定しています。人間として不可欠な神からの賜物を否定しています。そして、これも訂正していません。
 
シャロームは、敬虔ということを、丁寧な言葉遣いや社交の世辞と勘違いしています。だから、批判を受けることを、とんでもない異常事態と思うようです。自己中心で、人の言うことを、賛同意見以外聞かない人です。やたら聖句を並べ、やたら聖書語つまり聖書に因む言葉を振り回すのも、自己満足の大嘘だと思います。
 
シャロームは、平気で嘘を吐きます。「失礼しました」と書いた後で、楽山に「負けるが勝ち(笑)」と書いたことがあります。信仰についての全部が嘘、ということもあり得る人です。
 
シャロームには、荒らしの易坊と、軟派カルトのアドラー教宣伝者である楽山との、三者の成りすまし疑惑があります。筆致が元々三者は違うのですが、ときにそっくりになることがあったからです。自己中心と訂正不能であること点が酷似しています。もし、シャロームが、荒らしの易坊と同じ人の成りすましなら、シャロームは、奇跡であろうとなかろうと、神など信じてはいません。
 
シャロームの思考は、滅裂なところがあり、理路を組み立てることが出来ないと思います。また、本を読んでもその理路を理解しておらず、都合の良いところだけ受け取って、言葉だけを振り回します。そういう人ですから、読書好きなインテリではありません。そう見せかけようとする態度が、しばしば露骨です。大方、シャロームは、自分が引用した記事や自分が読んだ本の批判対象となってしまうのですが、シャローム本人だけはそのことに気づかないのです。
 
理路また論理とかが苦手な人も、信仰の日々について日記的に書くことは可能です、しかし、シャロームは、教える立場に、ふんぞり返るように、信仰について、思想について、自分の誇大妄想的言説を披露しないと気が済まないのです。
 
シャロームは、人からもらった言葉を振り回します。例えば、アンビバレント(愛と憎しみなど相反する感情を同時に抱くこと、葛藤に結び付く、両価性)という言葉を聞くと、神はアンビバレントなお方だからとか、意味不明な、まるで神が葛藤で病んでいるようなことを有頂天で言い出します。
 
また、それだけではなく、自分で、新しい卓見でもあるかのように、実際は愚にもつかぬ造語をすることがあります。民主主義ならぬ神主主義、心身症ならぬ霊心症という具合です。それで言い表せたつもりになるのです。とても異常です。
 
シャロームは、批判対象となった自分の記事をかなり削除しています。中身は何もありませんが、人格特徴としては、自説絶対の権威主義者だと思います。自分が気持ちよくなるためには、削除、当てつけ、嫌がらせ、虚言、隠蔽、偽装、改竄、など、手段を選ばない人だと思います。中身は何もありませんが、悪い政治家と似たような性格の持ち主です。
 
また、世辞の丁寧語とは裏腹に、自分をいつも他者を教える立場に置いている傲慢な自覚があり、根拠も説得力もなく豪語したり言い張ったりの、預言者気取りとも言えるでしょう。
 

人と人との和解をもたらす和解の源は神と人ととの和解であり、
それは人からではなく、神によって与えられる和解です。神の福音です。

 
シャロームの、こういう言葉が、はたして信用できるでしょうか。
 
また、悔い改めと同様に、自分は何もしなくてもよく、神との和解も、神が与える、というお気楽な、ありがたや信仰?を書いています。
 
信仰について何も弁えなくてもよい、などというキリスト教はどこにも存在しません。
 
どれだけ、神に逆らい、神聖をけがせば、気が済むのでしょう。シャロームは、何もしないで、人間でもなくて、何か、ばらばらな生命体にでもなりたいのでしょうか。呆れます。
 
シャロームは、福音伝道に関わる資格のない人だと思います。そればかりか、福音とキリスト信仰を滅ぼす妄想的カルト信者であり、反キリストであり、カルト宣伝者そして感染源だと思います。
 
シャロームは、楽山と同じように、不都合な一切を無視して、何事もなかったかのように、世辞の挨拶などから始めて、あちこちのブログに書き込んできます。
 
その丁寧語を受け容れて、穏やかな人だと思って安心して挨拶を返し、交流し始めてしまうと、あとは、聖書語という讃美言葉や、強引な何らかの勧めをしてきます。楽山や易坊と同じように、無反省、自己中心、訂正不能の押し方で、説教をしてきますが、その中身は、キリスト信仰でもキリスト教でもないカルトですから、人格と、感性、知性を破壊するだけだと思います。十分注意し警戒して、関わらないようにしてください。
 
 
キリスト信仰は、
人が、愛と人間性にあふれた、即ち、よく感じ取り、よく考える人間になるための信仰です。
洗礼を受ければ完成するような安易なものではなく、境地でもなく、超常の魔法でもなく、
人間として成長するために、祈りに支えられた道を歩むことです。
 
 
(2019年05月21日、同日一部修正)
(2019年05月23日、一部修正)
 
何か書き忘れているかもしれません。思い出したら、その都度、また書きます。
 
改竄(かいざん)
挨拶(あいさつ)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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最終更新日 : 2019-05-23

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