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ウソの国ー詩と宗教(戸田聡)

キリスト教、ポエム、宗教詩、数学・図形、など

Top Page › Archive - 2018年05月
2018-05-31 (Thu)

「イエスからキリストへ」

   イエスからキリストへ  キリストは人の悲しみを分かっておられた以前そう書きました。 その理由は神の子だからというのは分からないと言うのと大して変わりありません 神と同じ全知という理由では何も広がりがないのです。人間として共感しようがないのです。 キリストは公生涯よりも前にすでに多くの悲しみを見てこられたのだろうこれも前に書きました。 ここを考えることで人間として生きてきた御方の人間に共感でき...

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2018-05-30 (Wed)

「幸福と不幸」

   幸福と不幸  伝道者によっては信仰を持つとこんなに幸福になりますというような信仰は幸福への道という伝え方をする人がいます。 私はたちは信仰を与えられてそんなに幸福でしょうか。 今も数々の困難の中でただ信仰によって耐え忍んでいるということ以上に信仰を与えられてどんでん返しのように今は、とても幸福です、幸せいっぱいですと言えるような素敵な心境に変わるでしょうか。 信仰を得たのだから幸福でなければ...

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2018-05-29 (Tue)

「魂の奇跡」

   魂の奇跡  讃美する資格もない罪人である私さえも神は憐れんで救ってくださるということに誤りはないと思うけれど そうするために讃美ばかりをするというのはどうだろう。  ハレルヤ くらいが精いっぱいで 神のどこがと讃美するほど神を知らない。 助けてくれたということなら それは感謝でしょう。 それは罪深く讃美する資格のない自分という人に目をつぶることではないか。 神は罪に目をつぶり目をそらす人を救...

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2018-05-28 (Mon)

「双方向」

   双方向  神が与える救いは神が与えたかどうかさえ秘められたうちに人間に与えられるだろう 神は愛ですということを表したいのならば神と人は双方向なのだからどのような状況でどのような愛が与えられどのような気持ちになったか人間の気持ちとして語る他ないのだろう 例えば孤独からの解放悩みのうちの休息苦しみの緊張緩和悲しみの解放に向かう涙これらは人間が共感できる恵みでありそれゆえ肉体や物の奇跡よりはるかに...

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2018-05-27 (Sun)

「主の道」

   主の道  キリストが驚くべき救いの業を成し遂げるだけの超常奇跡だけの主であるなら その主を信じるだけで救われるという信仰は何の弁えも生まないことになるだろう。 人は超常の奇跡を見習うことなど出来ないからだ。 つまり信じますと告白したときから必ず救われる未来が待っていることになり 人はせいぜい悪いことはしないほうがよいだろうという自分の善悪の基準を生きることになるだろう。 あるいは道徳的な心得...

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2018-05-26 (Sat)

「存在と世界」

   存在と世界  「マトリックス」という映画ではコンピューターだったかの支配下で大方の人間は眠らされていてその脳に世界が幻想として与えられているという世界だったと思う。 ひょっとしたらコンピューターもなく私たちは形さえ持たずに浮遊しているような感覚の主体に過ぎないかもしれないという想像は可能だ。 その人間を支配しているのは神と言うべきか摂理と言うべきか夢システムまたは幻想システムとでも呼ぶべき秩...

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2018-05-25 (Fri)

「完全欲」

   完全欲  欲と書いたがここでは邪悪な欲望という意味よりも意識するとしないとにかかわらず個人の欲するところの傾向として善かれ悪しかれ有るものとして考える。 信仰については罪にも恵みにも関わってくる問題である。 キリスト者は神という完全なる御方に関わっている。それで信仰に完全を求めやすい。憧れているからだ。 憧れていることは一つの傾向を生み神の完全が当たり前になって不全の人に対する配慮に気づかな...

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Re: - 様へ * by トダサトシ
 
コメントありがとうございます。気づかなくてすみません。FC2よりメールとして届いて、確認しました。
 
私は、聖職者でも学者でもないので、一人のキリスト者として、ブログを書いているに過ぎませんが、読ませていただいて、共感できることが多いです。
 
確信という言葉は、聖書にも多く出てくるようですが、確信=絶対正しい≒教理は絶対正しい≒説教者は絶対正しい・・になってしまいがちです。その際に、疑問を呈する人を黙らせるのに、一番効果的なのは、"聖霊"(?)でしょう。物言わない存在だから利用されやすいと思います。
 
確かに聖書からキリストに出会ったと思っていますし、信仰は持っているわけです。どう信じればよいのかと言うことを、ずっと考えてきました。おっしゃるように、私は、人間の罪の性質を、ほぼ同値として、神とは違う人間の不完全という言葉で表すことが多いです。信仰者も罪を犯します。神とは違って不完全だからです。
 
罪深い人間の性質は、信仰者も変わりません。人の、いかなる思いも行為も、完全ということはないと思います。このことを弁えておかないと、・・人を裁く豪語になりかねません。
 
確信は、罪深いこと、即ち、不完全であることを弁えることだと思います。弁えないと、神聖と自分が一体化したかのように、自説を言い張るようになるでしょう。
 
取税人はその弁えを知っていました。パリサイ人はそれを知りませんでした。不完全という言葉を使うのは、神の完全との対比であります。
 
いつからか、私は、心に響くことしか受け取らなくなったと思います。信条や教理は、人間の言葉で表され、伝えられています。人間の言葉自体は、伝達のための乾燥した暗号に過ぎません。共感や感動を与えるのは、言葉+個人の心に起こる体験でしょう。
 
人間が、何でも神秘と結びつけたがるのも、罪の性質です。それだけになると、思考が停止して、カルトと同じ思い込み信じ込む強迫的な信仰?になると思います。
 

 
私は、高校生の時に、聖書を無料でくれる教会があるらしいということで、また個人的な悩みもあって、教会に行き、通い始めて、卒業を控えた17歳で、洗礼を受けました。日本基督教団の佐世保教会というところです。
 
説教について言うと、佐世保教会の牧師も、福岡の牧師も、割と好きなタイプでした。頭ごなしというのは、なかったと思います。でも、何だか誤解されやすく、集団が苦手な私は、転居を機に、教会からは離れています。
 
とはいうものの、聖書は、新約を通読、旧約は、ソロモン以後の歴史など、読んでいないところもあります。ずいぶん年を取りましたが、ずっと未熟です。最近は、聖書も、拾い読みばかりです。
 
熱心に勉強なさっていることが伝わってきます。私のこのレスは、記事にするだろうと思います。生き方の問題ですから、これからも分かち合っていけたらと願っています。ありがとうございます。拝。
 

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2018-05-24 (Thu)

「動機と目的」

   動機と目的  キリストは人の悲しみを分かっておられた キリストは公生涯よりも前に既に多くの悲しみを見てこられたのだろう 貧困、犯罪、戦争、権威の横暴、そして戒律がもたらす悲劇、救いから遠ざけられた人々、それをもたらしそれを少しも救えない律法の腐敗、温もりを持たないパリサイ人や祭司、罪を犯さなければ生きてゆけない人々、汚い言葉、差別、偽善、 戒律を文字通り守ることが救いにつながっていない 本当...

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2018-05-23 (Wed)

「偽善者」

   偽善者   私が出会った偽善者の典型  30年の牧師のキャリアがあると言う。外国で暮らした経験があることを必要もないところで書いたりする。 丁寧な言葉遣いで盛んに聖句を引用し神を讃美する。 私は不覚にも数年間彼を聖書の先生として敬意を抱いてさえいた。 今思えば私はまんまと騙されていたのである。牧師だったのかどうかも分からない。プロフィールには引退ボクサーというモジリも書いていた。そこで疑うべ...

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2018-05-22 (Tue)

「解釈と約束」

   解釈と約束  聖書は読むべきだが原語で読める人は極めて少ない。また原語で読める人の言うことが常に正しいわけではない。 聖書は原語に詳しい人が解釈しその翻訳を一般の人は読んでいるしそれを聖書と呼んでいる。 聖書は神の言葉と呼ばれる。しかし聖書は人の言葉で書かれ翻訳され解釈される。 受け取るべきは解釈だろうか。 神様の約束という言葉は麗しい。しかし現実には神の約束の有り様は解釈する人によって分か...

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