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ウソの国ー詩と宗教(戸田聡)

キリスト教、ポエム、宗教詩、数学・図形、など

Top Page › Archive - 2017年12月
2017-12-31 (Sun)

「信じ方」

   信じ方  私は、次の、1.より、2.のほうが信仰者としての人間に相応しいと思っている。 1.信仰者なのだから、神に、信じていますというのが当然で、人に対して、神はいると言い張るのが信仰者のあるべき姿だから、負けない、という信じ方。 2.生きるのに必要だから、というシンプルな理由で信じているけれど、信じ方がこれでいいのかは、神の導きにお任せします、という信じ方。 1.は、言い張ることで怒気に結...

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2017-12-30 (Sat)

「伝えること」

   伝えること  多くの人が、信仰を伝えるのに、ことさら神の偉大さを讃美することで、芯を外している。 信仰を伝えるのは、罪を赦される福音を伝えることだから、なぜ自分の罪や至らなさ、という、人の不全を語らないのか。そのほうが、よっぽど、内容が豊富なはずなのに。 神を肯定し、キリストを肯定し、聖霊を肯定し、信じますというだけなら、それは、私はこんなにも熱心に信じています、と言っているだけではないか。...

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2017-12-29 (Fri)

「信仰と逃避」

   信仰と逃避  悲しみや苦しみから目を背けて神をたたえ、神の与えた宿題である試練から目を背けて神をたたえ、神を誉め讃えて、いつも喜んでいる顔を作り、お付き合い気分で渡って、不思議がる人々には、何も知らないくせに・・と、心の中に、次から次に恨みを重ねてゆくのが信仰だというのだろうか。いつの日か、どうしても喜べない試練と終わりの時が来るまで、それこそ逆に何も知らない間だけ、幸せ気分に浸るのだろうか...

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2017-12-28 (Thu)

「信じると信じ込む」

   信じると信じ込む  神の存在を信じるといっても、神はいないと言う人に対して、いや、いるんだ、と断言することは、空言に等しい。分からないとか証明は出来ないとか言うほうがまだマシだ。 少なくとも、薄笑いを浮かべながら、いるのですね!・・、と顔を力ませるときの薄笑いの緊張が、何にも知らないで、と相手を下に見る姿勢になっていることに気づくべきだ。 このように、信仰者の自尊が現れる機会は意外と多く、勝...

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2017-12-27 (Wed)

「衰弱と臨終」

   衰弱と臨終    臨終 見ている多くの顔が眠ろうとする信徒の最後の告白を聞くために そして 賛美の言葉の一つも出ようものなら久しく流さなかった涙をその時には浮かべてもよいと  期待するものと 期待されるものの間で つり上げられた信仰が 病気の小魚のように しずかに はねた 彼の不幸はついに思い出に変わることはなかったもはやどのような約束をもってしても過去も未来も変えることはできない そう人生...

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2017-12-26 (Tue)

「キリスト教嫌い」

   キリスト教嫌い  キリスト教嫌いの人に対しては、多くのキリスト者と、キリスト教会は、まるで、神の敵である悪魔のような人もいるみたいに言って済ましているかもしれないが、とんでもない、多くのキリスト教嫌いは、教会が作っていると思う。 信じる前には、クリスマスのどんちゃん騒ぎがあっても、そういうもんだと思っているだろうから、このキリスト信仰の薄い日本において、キリスト教を目の敵にする要素は、一般に...

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2017-12-25 (Mon)

「絆(きずな)」

   絆(きずな)    神とキリスト 神様は不公平です神様は不平等です神様の計画は理解できません神様は不平等に才能と運を与え神様は不公平に貧富を作ります神様の御心はわかりません理解を超えた全知全能に耐えられないから全知全能の父なる神お近づきになりたくありません もし神様が来られたなら恐れおののきあわてふためき逃げられないと知りながら逃げ惑うでしょう けれどキリストが来られたなら列の一番後ろでもい...

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2017-12-24 (Sun)

「キリスト像」

   キリスト像    基督像 誰も助けてはくれない誰にもおろしてもらえない痩せた項(うなじ)は地にうなだれ蒼白の瞳はかすかに見開かれながらずり下がる手足の痛みに耐えていなければならない どれほど多くの乾いた唇が彼の名前を掠めていったことだろうどれほど多くの黄色い視線が彼を横目に見たことだろうそして頁をめくるような夥しい粗い舌が彼を指して唱えたのだ「ユダヤの王」あるいは「わが救い主」と 彼はなぜ耐...

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2017-12-23 (Sat)

「御言葉」

   御言葉  困ったときに、聖句を思い出し、または、探してみるのは当然のことですが、 前に書いたことですが、 救いを教理で信じてしまうと 救いにつながる神の行為を 人が神に当てはめて 勝手に決めて信じてしまいたくなります。 既に全知である神は面倒臭さなど持っていないが、人には、面倒臭さを感じやすく答えを欲しがって結論へと短絡してきた歴史があるからです。人は、正しさを自分が見つけたことにしたいので...

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2017-12-22 (Fri)

「弱さを誇る」

   弱さを誇る  前にも書いたことのあるテーマです。信ずるにあたって、奇跡をおこなう神を至高の御方として信仰し、そこに触れて、そこから出たものを、神聖の賜物として受ける、というこの姿勢は、神の絶対に触れることによって、人が神を知り、神の御心を知る、というあり方のように思われます。 上は、神の超常中心の信仰のあり方ですが、私は、人は神を知りえないし、神は人が理解することも出来ない御方だと思います。...

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