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ウソの国ー詩と宗教(戸田聡)

キリスト教、ポエム、宗教詩、数学・図形、など

Top Page › Archive - 2013年06月
2013-06-23 (Sun)

「聖と俗」

聖と俗  聖と俗を区別して聖に生きよと言う者たちに騙されないでください。 人は聖に生きることは出来ないのです。人が語る聖は人の作り物です。 聖霊に従えという者は無思考を勧めているだけなのです。 反対意見を聞かず自分の話だけを信仰として語る者は自分信仰者に過ぎないのです。 罪を犯さないように戒める者は自分の罪に気づかない者たちです。そして傲慢によって罪に罪を重ねているのです。 信仰の原初において罪を...

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2013-06-20 (Thu)

「表現の罪」

表現の罪  信仰者であることが先ず罪です。信仰を伝えようとすることは罪です。それは一つの表現です。 信仰を表現しようとすることは罪です。 さらに信仰を実践しようとすることは罪です。これも一つの表現です。 そしてそれらは理想の思い込みという偶像信仰を伴います。 罪でないものが何かあるでしょうか。あるなら、どうやって確認するのでしょう。 罪でないもの、正しいものが、求められるべきという当為が、あるいは...

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2013-06-14 (Fri)

「異種」

異種  人が人であること自体が人が人と呼ばれていること自体が人間同士だと思っていることが悲劇であるのかもしれない。 近づいた同士が離れてゆくのが残念なのではなく元々別々で近づいてなどいなかったのかもしれない。近づくことなどないのかもしれない。 散乱したベクトルにも共有できるものがあるのだろうと期待もしてきたがベクトルの本質そのものが人によって違っていて共有も共通もなく交流は似たような図式的表層にお...

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2013-06-12 (Wed)

「正誤」「思う」

正誤  何らかの正しさを本当に理解したと感じるときには、「なるほど」~「ああ」という感動によって世界が広がるような解放感を伴い、それが更なる課題へと導いてくれる。理解は論理だけでなく感性によって人を解放する動態だ。 そうでない場合、「ふ~ん」という曖昧で広がらない気分を催すか、または辻褄合わせに過ぎなくなって「うん」「うむ」「よし」という小さな気合いによる独り納得か自己満足に過ぎなくなる。 神につ...

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2013-06-11 (Tue)

「敬虔マニア」「栄光マニア」

敬虔マニア  信仰者は神の愛を知るゆえに敬虔であるのか。 生死も幸不幸も定める神の愛に人は耐えられないはずだ。 幸不幸は、人次第、信仰次第、気持ち次第、あるいは試練とでも言うのだろうか。人の信仰では理解も納得も出来ない不幸があることを知らないのだろうか。 信仰者は神への想いによって行動するだろう。しかし信仰者は神への想いゆえに慎み深く敬虔なのではない。 神はいちいち説得して人を運ぶのではない。その...

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2013-06-10 (Mon)

「不条理」

不条理  信仰は不条理から始まる 不条理に対して救いを求めるのが信仰という見方もあるだろうが信じたからといって不条理がなくなるわけではない 不条理の背後にある大いなる摂理すなわち絶対者を信じないではおれない起源と原初という見方もあるだろうが背後にあるものは人一人の人生において常に背後であり続けるだろう では何故に人は信じる相手を求め祈り叫ぶのだろう 人との関係が頼りないから自分が頼りないからという...

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2013-06-10 (Mon)

「立方数の和」

昔々習った高校数学では、 平方数の和は、 (k+1)^3 - k^3 の和から計算して、   n(n+1)(2n+1)/6あるいは、書き換えると、  (n(n+1)(n+2)/3)-(n(n+1)/2)という結果が出る。それをもとにして、 立方数の和は、 (k+1)^4 - k^4 の和から計算して、 (n(n+1)/2)^2という結果が出る。 特に立方数の和については、1^3+2^3+3^3+・・+n^3=(...

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2013-06-01 (Sat)

「アダムとエバの罪(2)」

前の「アダムとエバの罪」http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/15102526.htmlでは因果関係みたいなものに、また自由意思による選択か必然かということに、こだわったような感じで書いたけれど・・   アダムとエバの罪(2)  旧約聖書を書いた著者たちは、その時代の人の有様と罪を経験して、神を信じるしかなく、その必然から、逆に、罪の起源を人類の起源に求めざるを得なかったのです。 新約聖書を書いた著者たちは、キリ...

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