楽山の独り芝居(2)3 神についての対話 2 楽山日記(LD) 2020年06月21日 http://mn266z.blog.jp/archives/25240161.html を改めて批判。 楽山が悪意の人であることが表れています。信仰が分からないから、信仰について、文句が言いたいのでしょう。そして、終わりに、小説から、ふざけたことを言って、楽山の大好きな三文芝居で、自分で自分を褒めて、神を笑う気持ち悪さなのです。 努力している信仰者も...
ウソの国ー詩と宗教(戸田聡)
キリスト教、ポエム、宗教詩、数学・図形、など
無理解の感想文 楽山日記(LD)2022年06月24日 『釈尊のさとり』増谷文雄著 http://mn266z.blog.jp/archives/33229036.html 楽山の感想文には、飾り言葉はあっても、どこが、どのように、・・という解説がありません。理解してないからだと思います。小学校で、感想を聞かれて、よかった、または、感動した、エヘヘ、などと答えるようなものでしょう。この嫌な雰囲気は、楽山の言に表れてくることがあります。 楽山...
神と人知3 超常への憧れから信仰者になった人は現実問題に向き合うことが苦手になるかもしれません。現実問題に疲れた人が、何らかの機会を得て、信仰者になる場合には、信仰は、超常ではなく、キリストの愛と共感によって、心で受け取っていると思います。 超常信仰は、信仰を驚くべき神のわざとしてしか受け取っていないために、元々の関心が向いていないところの人間性を磨くということを怠りやすく、あるいは、キリ...
自由と解放3 信仰は欲望や、世俗のしきたりや、先入観や偏見などの戒律みたいなものに縛られる心から基本的に神の御心を思う世界へ生き方の方向を変えることです。神様のほうを向くという表現もあります。つまり生き方の方向転換と言えるでしょう。 こだわる物事が別のものへ変わるのではなくこだわりという不自由からの解放つまり自由ということです。そうでなければ信仰は無意味だからです。 信仰は取引ではありませ...
祈りとは3 祈りは人から神への言葉による唯一の音信であります。 そこにのみ、言葉での神に対する人の自発性が表れます。 出来事思うこと感じたこと学んだこと悔いていること罪の告白赦しと導きを乞うこと 信仰を固定してはいけません。 心の中が定まったからと思って心の中をそのまま変えないことが信仰だと勘違いしてはいけません。 定まって変わらないのは神の御心であって人の心ではないのです。 人が自分の心...